難病が教えてくれたこと
さいたま市 製薬会社勤務 男性(32)

出口の見えないトンネル

私は、22歳で米国の大学に入学し、26歳で帰国、製薬会社へ入社。営業を担当する。物の考え方の相違から仕事に打ち込めず、大学に戻る決心をする。しかし、入社して2年目、父がガンで他界。大学へ戻ることを考え直さざることを得なかった。そんな時、家内と出会い、結婚を決意し、今の会社でがんばっていこうと心の区切りをつける。そして半年後の平成5年2月、理系の専門知識を要する部署へ移動。文系の私にとって見るもの聞くものが苦痛であり、戸惑いを感じながら1ヶ月後結婚する。そして、その直後の健診結果が長いトンネルへの入口となる。

7月、肝機能障害という判定結果が通知された。脂肪肝かもしれないので、体重を減らすよう産業医の指導を受けた。それから昼食を減らして、ウエイトリフティングを毎日行い、プロテイン、ビタミン剤を多種多様服用し、自分が満足するウエイトコントロールを行った。体重は減ったが、脂肪肝への不安は消えず、不眠に悩まされるようになる。ちょっとした物音にも敏感になり、目がさめ、その後は目が冴えてしまうという毎日が続いた。

原因不明の発熱

平成6年2月、高熱が出て、医者からもらっている薬が効かず、市販の解熱剤を飲む。30分ほどすると座っていられないほどの激痛の波が下腹部を襲い、4時間我慢するが痛みは変わらず、深夜救急病院へ。腸のレントゲンをとるが、専門医不在のため帰宅させられる。翌朝、這うように病院に行き、待たされたあげく診察を受けると、「急性肝炎のため即入院」となる。GOT、GTPともに1300以上で、重症。精密検査の結果、病名は「伝染性単核球症」だろうとのことである。

EBウイルスの感染症で肝炎ではなく、肝障害と脾臓の腫れが主な症状とのことである。ウイルスと肝臓に効く薬はなく、1ヶ月の安静が治療となる。しかし、熱は高く、38度後半が毎日休むことなく、2週間出続け、解熱剤(座剤)が手放せなくなる。薬は30分で効くが、6時間きっかりで切れ、悪寒と体中の痛みの副作用が出始め、また高熱となる。時間との戦いである。半日で7,8枚のパジャマを着替える。結局、結婚一周年もベッドの上で迎える。3週間して、GOT、GPTとも20台になり、ウイルスの免疫ができたので退院。脂肪肝の疑いも消え、かえって安心した。

再発の繰り返し

ところが、このあと同じ症状が平成7年3月までの一年間に、6回も繰り返されてしまう。2回目からは、大きいといわれる病院に転院。内科に加え、血液科の先生も診察するようになる。病気の前兆は、不眠になり、食欲が落ち、腰痛になる。その後4日くらいして、38度以上の高熱が出て、10日以上続く。(2回目は3週間)病院に行くと、血液検査、胸のレントゲン、胸部のエコー、CTを取り、解熱剤をくれる。発病して3ヶ月で、レントゲン枚数は30枚をこえていた。

血液も白血球が2000以下(参考値3900〜9800)、他も全体的に悪いが、内蔵には異常がない、診断は考えにくいが、同じ病気の再発ということになる。こうして、約1ヶ月自宅で療養し、会社に復帰。そして、長くて3ヶ月、短くて10日のサイクルで再発を繰り返す。その間も経過観察のため通院し、エコー、CTをとる。しかし、3回目からは命にかかわる血液の病気、悪性リンパ腫、結核、エイズ、つつが虫に至るまで「かもしれない」と疑われ、医師の一言に一喜一憂し、長い時間は、震えが止まらなかった。病院では、恐怖と不安だけをつのらせ、どんどん病気の方へ引き寄せられてしまった。

退院を決意

4回目は、核医学と言って、造影剤を前日に注射、翌日元素が腫瘍に集る写真で体内の悪いところを探す検査をするという。注射の前に「肝障害をおこしているのに、造影剤の影響はないのか」の問いに、笑いながら「大丈夫」と注射をする。にもかかわらず、帰りの車中で今までにないほどの右上腹部の痛みに、病院に引き返す。「肝臓が破裂しているかも」と、急いでエコーで見ると非常に腫れていた。空きベッドがないので他の病院で2日入院するが、何のためか、レントゲン・エコー・CTをとる。3日して元の病院に入院すると、また胸のレントゲンをとるという。

昨日も一昨日もとったと言っても「入院の規則」と言われてしまう。そして「不明熱」で検査が始まった。骨髄せん刺をすることになり、不安は頂点に達する。結果ははっきりいわないけれど、異常が多少認められ、24時間一週間の抗生物質点滴を受ける。死の恐怖におびえ、もちろん眠れず、人の足音にびくつく長い夜を毎日送る。それでも不明熱の原因はわからず、ウイルスなのか、肝臓疾患なのか、血液の病気なのかなかなか特定できない。そして、肝臓に針を刺し、組織を調べる検査を最終的にすることになるが、「血液状態が悪い中、出血が心配」という家内の言葉に急きょ中止となる。ついに精神的な限界を感じ無理に退院させてもらう。

通院も中止

その後の通院でも、楽観できるような病気ではなく、骨髄せん刺、肝生検をするようにスケジュールを組まれる。医師には親身になっていただき感謝もしているが、悩んだ末、10月で通院をやめた。素人考えだが、度重なる全身に及ぶレントゲン撮影で、白血球は壊され、病院に行くことが治らない原因のような気さえしてきた。通院中止は若い私達にはとても勇気のいる決断だったが、これが長いトンネルの出口の光となる。だがその後も2度発病し、必死で解熱剤を手にいれ、「大変な病気では」という不安を抱え途方にくれていた。

エスパワーへ

そして、7回目の前兆が始まった3月25日鯰江先生との出会いに恵まれる。エスパワーに通う従姉から「病院に行かず、何もすることがないのならどうかしら」と早急に予約を入れてくれた。実際、新薬メーカーに勤務しているし、薬への依存心も強く、非科学的なことにはまったく興味もなく「気」の知識など家内が言葉を聞いたことがあるくらいだった。

しかし、「藁をもつかむ思い」とはまさにその通りで先生を訪ねた。ビルに足を踏み入れると、病気の前兆が始まっていたにもかかわらず、気持ちが落ち着いてきた。気流測定の結果、内臓は問題なく、自律神経が弱っているとのことだった。私は先生に出会い、一日で耳を疑うような言葉を2度聞き、不思議な体験をする。一つは、N式療法で腹部に触れた瞬間、「大丈夫、治るよ」と言われたとき。

一年半不安で苦しむ中、先生と言われる多くの方から、一番聞きたくとも一度も聞けなかった何とも力強い断言する言葉であった。もう一つは、カウンセリングの時である。育った環境から病気のこと、会社のこと、家族のこと、詳しく聞いてくださった。そして社会に出るのが人よりかなり遅く、考えが確立してしまい、どうしても徹夜をする上司についていけず、それでも自己を通すことの軋れきに自問自答を繰り返し、そんな自分を「社会に適応できない」と言うと、先生は間髪いれずに、「その社会が間違っている場合もあるよ」とサラリと一言。

今まで人に話しても「適応できない君が悪い」と100%言われ、自分でもそう思っていたのに、その言葉にものすごい衝撃と光を感じた。そして不思議な体験とは、先生がおなかの上に手をあてると(今思えば気を送り込んでいた)両足のつま先がキュイーンと伸びて引っ張られ、両足からズバーっと何かが出て行くような感じを体験した。体が熱くなった。先生は、「せっかく熱が出てウイルスを死滅させているんだから、解熱剤をやめて、とことん熱を出させよう。自己治癒力を信じること」といわれ、3日後に予約をとった。

好転反応を受け入れる

帰宅してまもなく嘔吐する。今までいくら熱が高くとも、吐いたことはなかった。[好転反応]の説明書を握り締め、何度も読み返す。夜になって、ひざからももが痛く、階段も上がれず、力が入らず立ってもいられない。不安が募るが、また読み返す。一睡もできず。そして、38度の熱がありながら二回目のN式療法を受ける。触られるだけで、腹・背・足・首とどこも痛いが、カチカチだった腹がやわらかくなる。

「自分で感じられないストレスが一番怖い」「お腹がこんなに硬くては熱が出る」聞くこと全てが新鮮で力が沸く。帰宅すると、まだ足が立たずに歯も磨けない。以前点滴をしていた両腕の内側、手首にひどくかゆいしっしんが出る。また不安が募る。けれど、なんとなく熱が治まるような気がしてくる。疑心暗鬼の中、本当に熱は下がっていく。心配した先生からも電話をいただく。あっけないぐらいだった。

発熱して3日と半日。今まで10日以下なんてなかったのに。信じられない。帰ってきて6時間後である。会社での信用もなくし、給与もカットされ、苦しんだ一年間だった。それが薬をやめて、たった二回のN式療法を行っただけで、熱は終わった。それから今日まで7ヶ月。すこぶる元気で発熱も一度もない。ただ、今も時折点滴をしていたところが腫れてかゆい。よほど不明なものを体内に入れられてしまったのだろう。

大きな意識の変化

考えてみると、検査結果がストレスになり、環境の変化に無意識にストレスを溜め、免疫力が低下しウイルスに感染、病院と病気がマイナス要因となり、さらにストレスを生み、免疫力が回復せず、ウイルスから抜け出せなかったのではないだろうか。検査と結果におびえ、振り回されていた。今、月4回から2回に減ったものの、N式療法に通い、気・呼吸法・ハーブ・イメージトレーニングに始まり、世の中に存在する見えるもの見えないものへの考え方を示唆して頂き、病気を治していただいただけでなく、確実に意識改革をもしていただいた。

人間とは変われるもので、今まで飛行機に乗るのに睡眠導入剤を使用していたのに、ハーブの香りを嗅ぐだけで、一時間ゆれ続ける中、平然と本を読んでいられた。また、10月に移動があり、イメージトレーニングをしていたおかげですぐにに溶け込め、今までになくやる気に満ちている。自分の体は自分で守り、対症療法でなく、ホリスティック的に治していくのが良いと思う。少々疲れていても呼吸法を行うとポジティブな考えになり、頭がクリアになり、とても楽しくなる。そして、常に免疫力を高めていられる。今はただ「ありがたい」という気持ちでいっぱいである。